韓国の焼肉の話をしよう。もう二度と辿り着けない焼肉店の話。
80年代、まだ私が子どもの頃は、中国もそうだけれど韓国も近くて遠い国だった。今みたいにインターネットで気軽にやり取りできるような土壌はなかったし、「韓流」なんて言葉もまだなかった。
ソウルオリンピックの開会式を見て「アジアにも発展した都市があるんだな」と素朴に感じた程度だったのだ。なんて不遜な感想かと思うが、80年代は日本の経済はアジアどころか世界でトップクラスだったので、大人達はみんな思い上がっていた。それが子どもにもなんとなく伝播していた、そんな時代。
私が育った地域には朝鮮学校はない。韓国は日本より田舎くらいのイメージはあったけれど、半島に特に差別意識はない。部活の遠征時に見かけた、チマチョゴリを模した朝鮮学校の制服は可愛くて羨ましいと感じたし、酷い大人がそれを罵倒したり害したりする話を聞いて憤慨した。あんな可愛い制服の、何がいけないというの。
そんな風に微妙に距離感を感じつつ、私が初めてソウルを訪れたのは1998年のことだ。
季節は夏。3日間ずっと雨が降っていて、傘を手放せなかった覚えがある。
ソウルの印象は「カラフルな街」だ。
中国の大都市もそうだが、看板の色彩が毒々しく、雨に滲んで余計に色鮮やかになっている。
きっと欧米人から見たら東京も大差ない印象だろうけれど、なぜか日本から出るとアジアのネオンサインは毒きのこのように禍々しく見える。
困ったことに、雰囲気はアジアらしく馴染みがあるのに、何の看板か一切わからない。ハングルがまったく読めないのだ。中国では漢字表記なのでなんとなく理解できるのが、同じ東アジア圏なのにちっともわからないというのは不安が募る。中東でアラビア文字を読めなくても「そんなものだ」とさほど不安を覚えないのに。
当時も大きなデパートに入れば日本でも見かけるブランドの服や鞄が買えた。だが、魅惑的なのは市場だ。馬鹿みたいに安い価格でTシャツやサンダルを購入した。
しかし当時のソウルの庶民的なアパレルは安かろう悪かろうで、買ったTシャツはびっくりするほど色落ちした。でもまあ、ネタみたいなノリで買ったから笑い話で済む。お洒落目的というよりは、そういう話題のために買い物をするという感じだ。
その頃の私は、海外旅行先でカセットテープを買う習慣があった。
なぜカセットかというと、地域や国によってはCDが充実していなかったから。それにその頃の我が家の車のカーステはCDが再生できず、ドライブ中に流すためにはカセットで買うのが手っ取り早かったのだ。
目当てのアーティストなんてものはなく、そのときレコード店で売れ筋のものを適当に数本買うのがお決まり。帰国後に、ソウルで買ったチャート1位とやらのアルバムを流してみると、バリバリのヘビメタで私の好みではなかった。
なんだか80年代に日本で流行った音楽のようで、ちょっと懐かしさを感じた。そのときは、十数年もするとK-POPとやらが日本で持て囃されるようになるとは、まったく想像できなかった。
ソウルでのお楽しみが食なのは、今も昔も変わらない。
スマホなんてものはないので、ガイドブックをめくってビビンバや冷麺の店を探し当て、舌鼓を打った。
その日の夜は、焼肉を食べようと繰り出した。
雨が降る中、道に迷い、傘をさしたままガイドブックを繰って、友人と「あっちかな、こっちかな」とおろおろしていた。
そんなことをしていると、ひとりの男性が日本語で話しかけてきた。流暢な日本語。道に迷ったの、とか、何か探しているの、とか、そんなことを。私達は馬鹿正直にガイドブックで「この店に行こうとして探している」と返した。
すると彼は「そこもいいけど、もっと美味しい店がある。案内するからついておいで」と言うではないか。
私と友人は一瞬顔を見合わせたけれど、若くて怖いもの知らずな年頃だったので恐る恐る彼の後についていった。彼が朴訥で人の良さそうな雰囲気で、なんとなく大丈夫かな、なんて思ったのだ。
どこをどう歩いているのか、さっぱりわからない。入り組んで細い路地を彼はすたすたと歩いていく。観光地らしい雰囲気は消えて、ローカルの生活感が高まっていく。これはついてきてはいけない案件だったかと恐ろしさを感じ始めた頃、彼は「ここだよ」と一軒の店の前で足を止めた。
中に入ると、明るい食堂だった。空きっ腹にニンニクの香りが刺激的。
数卓のテーブルは半分くらい埋まっていただろうか。案内人の彼とお店のおばさんが韓国語で勢いよく会話して、テーブルのひとつに案内してくれた。
そしてなぜか、彼も当然のように同じテーブルについた。
「何が食べたい? 焼肉だよね。この店はこの肉がお勧め。ビビンバも食べる?」と私達の要望を聞き、あっという間に注文してくれた。観光客向けに英語や日本語が併記されているわけではないメニューなので、彼の通訳には助けられた。
お互い大学生ということがわかって、ちょっとホッとしたところに前菜が並び出した。大量のキムチやナムルに目を丸くしていると「こっちの焼肉はこういうものだから」と彼が笑う。私達はそのとき韓国での焼肉が初体験だったし、大きなテーブルを埋め尽くす数の前菜を見るのも初めてだった。
やがて運ばれてきた肉は、どれも美味しかった。
何の肉を食べたのかは記憶が曖昧。サムギョプサルもカルビも食べたと思う。サンチュやエゴマにキムチと一緒に肉を巻くと無限に食べられる気がした。女子とはいえ食欲旺盛なお年頃だから、彼より私達の方が多く食べた。
肉を食べ終わると、なぜかヤクルトが運ばれてきた。日本でもお馴染みのあの形の小さなボトル。違いはボトルの印字がハングルなこと。
困惑していると、彼は「焼肉の後にヤクルトは定番」と説明してくれた。
結局、彼は単に親切な青年だったらしい。私達に声をかけた下心は、日本語で話したいというだけだった。
焼肉代をほとんど払ってくれて、ホテルまでの道がわかる場所まで案内してくれ、そこで別れた。
後日、焼肉の最中に教えた携帯電話に彼から電話が架かってきた。
あいにく大学の講義中だったのでその旨を伝えると「じゃあ、また」と切れた。それ以来彼から電話は来なかったし、私からも架けなかった。
あのソウル旅行以来、サンチュに焼肉を巻く度に、彼とヤクルトを思い出す。