ノイシュヴァンシュタイン城の話をしよう。御伽話のような愛らしい城の話。
冬のドイツを訪れたのは20世紀も終わりの頃。母と姉と3人で旅行をした。父は飛行機で耳が痛くなる体質なので嫌がり、留守番して仕事と犬の世話をしていた。
私が大学を卒業する直前の話で、家族で海外旅行なんてこれが最後のチャンスと出掛けたのだ。実際は、その後も何度も3人で海外旅行をしたわけだけれども。
そのときなぜドイツを選んだのかは、よく覚えていない。
フランスやイタリアには行ったことがあるけどドイツはまだだね、ロマンチック街道の雰囲気を味わいたいよね、くらいの決め方だったような気がする。
ドイツは玩具箱のように可愛い街並みで楽しかったけれど、食事にはあまり良い印象がない。パンは文句なしに美味しいし、チーズも旨いが、それ以外に美味しかったものが思いつかない。
長いフライトを終えてドイツでの最初の晩ごはんは、ちょうどクリスマスで店が開いていないということもあって選択の余地がなかった。ホテルの近くでかろうじてオープンしていたイタリア料理店に入って食べたパスタは、私の生涯で最も不味いパスタだ。どうやったらパスタをこんなに不味く茹でられるのか感心するくらい残念な食感だった。疲れているところに不味いパスタを投入されると疲労がいや増すということをこのとき初めて知った。
旅のハイライトのひとつは、ノイシュヴァンシュタイン城だ。
シンデレラ城のモデルとなった、狂気を秘めた可愛らしい城。
確かあのときはミュンヘンに滞在して、列車でフュッセンまで移動した。3時間ほどかかる長い列車の旅だ。
けれど車窓からの風景が楽しくて移動時間は苦にならなかった。絵本に出てくるような黒い森、雪原の中に見える小さな家、放牧されている牛や馬。日本で見られないような美しい風景にうっとりしながら女3人でお喋りしていれば、あっという間に時間は過ぎる。
この列車の旅で苦痛だったことといえば、トイレが寒かったことくらいだ。
さて、フュッセンに着いて、初めて私達は大きな過ちを犯したことに気づいた。
その日はノイシュヴァンシュタイン城はクローズしていたのだ。もちろん、ホーエンシュヴァンガウ城も。
なぜそんなことになったかというと、3人ともガイドブックをしっかり読み込んでいなかった。確かに「地球の歩き方」にはクリスマスに閉館してしまうことが書いてある。とても小さな字で。
今なら事前に公式サイトでチェックしてチケットを買うからそんな過ちは起こらないはずだが、当時はそんなシステムはなかったから行き当たりばったりな旅をするとこんなこともある。
仕方なく、復路の列車の時間を窓口で変更してもらう。といっても田舎のダイヤのことなので、かなりの時間をフュッセンの駅周辺で潰すことになった。当時、私は旅にはスケッチブックと画材を携行していたので、雪を被ったノイシュヴァンシュタイン城をスケッチしていた。が、寒さで手が悴んでろくに描けなかった。
2日後、今度はちゃんとオープンしていることを確認し、再びミュンヘンからフュッセンへ移動した。
空振りした日と同じように雪が積もった寒い日だったけれど、駅前の混雑はまったく比ではなかった。先日の閑散とした田舎町の風情はなく、観光客や屋台で賑やかに変貌して、それこそシンデレラ城の前にでも居るみたい。なるほど、あの日の列車は空いていたわけだ。
しかし、今度もトラブルが起きた。姉がフュッセンに着く頃、体調不良になったのだ。またしてもミュンヘンへ蜻蛉返りと覚悟したが、ひと通り吐いたら少し落ち着いたようだ。せっかく来たので私だけでも見ておいでとなって、観光案内所に母と姉を残してひとりでノイシュヴァンシュタイン城へ向かうことになった。
近くで見るノイシュヴァンシュタイン城は可愛らしくもあり、不気味でもあった。
19世紀に建てられたのに中世の雰囲気を出しているところがルートヴィヒ2世の狂気を感じた。
それは中に入っても同じだった。古めかしく作られているけれどところどころでは19世紀らしい新しさがあって、よくまあこんなものを作ったものだと薄寒い気持ちになった。こんな物語の世界観に引きこもっていたら気が狂うのも仕方ない、と思わせる何かがあった。
城内の細かいデザインや仕掛けは、ガイドブックを読み込んで知ったわけではない。たまたまそこに日本人の観光ツアー団体がいたので、遠巻きにこっそりガイドの説明を聞いていた。お金を払ってないのにごめんねと思いつつ、団体からちょっと離れてもどうしても耳馴染みのある日本語が聞こえてしまうのでついつい聞いてしまうのだ。
同じように、ひとりで観光しているらしき若い日本人女性も、傍からガイドの言葉を聞いているようだった。私達はこっそり目配せした。
ノイシュヴァンシュタイン城が美しく見えるのは、近くのマリエン橋かららしい。
「近くの」といっても雪が積もった道、しかも私の靴はスノーブーツでもなく、雪道を歩くのは大の苦手なものだからとても行けなかった。なので滑りながらおっかなびっくり展望台へ行き、湖と雪の美しい景色を眺めるのが精一杯。
城からの帰り道、屋台でホットドッグを買って歩きながら食べた。ドイツの食事には良い印象はないけれど、ソーセージはどれも滅法美味しい。立派なソーセージと美味しそうなパンを見たら食べずにはいられない。しかし、いざ食べ始めてみると、温かいのは最初の一口だけだった。寒さのあまり一瞬で冷えて、なんとも味気ないホットドッグになってしまった。
後年、姉は夏のノイシュヴァンシュタイン城を再訪し、無事にマリエン橋からの景色を目にしたと写真を見せてくれた。白い雪に閉ざされた城ではなく、青い空の下、緑の森に囲まれた城は恐ろしさが少し削がれているような気がする。この季節ならホットドッグも熱々のうちに食べ切れるだろう。
夕方、ミュンヘンまでの列車に乗ると、あの日本人女性もいた。こっそりツアーガイドの話を聞いた共犯者。
冬の夜は、どの民家もイルミネーションできらきらと輝いていて、いっそう絵本の中のような景色になる。そんな車窓を眺めながら、お互いの旅の話に興じた。