ペルーの話をしよう。天空にある都市の話。

21世紀に入ってすぐの頃、ペルーへ行った。
その直前両親に会う機会があったので「来週、ちょっとペルーに行ってくるわ」と伝えると、父に「『ちょっと』って距離じゃないでしょ」と呆れられた。確かに南米は遠かった。4泊8日なんて日程の旅行は後にも先にもない。
短い日程の中、行けるところは限られている。マチュ・ピチュは絶対見たい。ナスカの地上絵も見たい。ということで、クスコを滞在の拠点にした。最後少しリマに寄る、そんな旅行。

クスコはアンデス山脈の中の街だ。標高は実に3,400メートル。富士山の頂上より少し低い程度。
なのでクスコの空港に降り立つときは、まだまだ雲の中にいるような高さなのにもう着陸の衝撃があって、狐につままれたような気分になった。飛行機の窓から外を見ても、延々と山脈と雲が広がっていて、どうしてこんな高い場所に街を作ろうと考えたのか、さっぱり理解できない。
飛行機から降りてターンテーブルにスーツケースが出てくるのを待つ間、私はトイレに行った。が、それだけで息が切れる。トイレへ歩くまでのちょっとした距離でぜいぜいと呼吸が乱れ、個室で立ったり座ったりするだけでくらくらする。
いきなり高いところに放り出され、標高に順応できていないのだ。山の麓から徐々に登るわけでなく、空からポンと投げ出されるとこんなカンジになるらしい。
おかげでクスコに滞在している間は、ゆっくり慎重に行動しなければいけなかったし、むやみにはしゃいで大声を出すことも叶わなかった。そんなことをしたらマラソンを走った後みたいにしんどくなってしまう。

私は息が切れる程度で済んだが、一緒にペルーへ行った6人のうち3人は高山病になった。
6人は昔からの仲良しグループというわけではなく、友人の友人を集めてペルーツアーを組んだというパーティだった。そんな関係だったので6人のうち私は4人と初対面だったが、同年代の旅行好きということで特に問題はなく、成田空港で集合した時点で全員は打ち解けてしまった。
そして私以外の5人は、みんな医療従事者だった。彼女達は高山病について予め対策を立てていて、私も薬を分けてもらったりとおこぼれに預かったのだけれども、実際にはちょっとした予防なんて大して役に立たないらしい。
ペルーでの初めての夕食を食べに街へ出かけようとしても、3人は嘔吐と頭痛で外出できるような状態ではない。仕方ないので無事な3人でガイドブックを見ながらペルー料理の店を選び、アルパカのステーキを食べた。

標高が高いと、夏でも少し寒くてヤッケが手放せない。それでいて太陽に近いせいか、雲が切れると日差しが容赦ない。
翌日、太陽神殿や広場、博物館などを見て回るときは6人とも行動できた。が、標高にやられた3人はしんどそうだ。
そんな中、現地のガイドは元気に動き回って長々と喋っている。一年の半分くらい日本で過ごすというそのガイドによると、クスコにいるとレントゲン写真で肺が大きく写るそうな。それが日本にいると萎むので、クスコに戻ってすぐのときはやはりちょっと苦しいらしい。人間の身体はそんな順応をするのかと感心した。

マチュ・ピチュは、クスコから列車で移動する。
過激なスイッチバックの線路なんかも体験できて、列車好きにはなかなか楽しい旅だ。天井もガラスになった観光列車では軽食も提供される。
マチュ・ピチュは高い山の中の遺跡というイメージだが、標高は2,400メートル余りしかない。いや、充分高い場所にあるけれど、なにしろクスコより1,000メートルも下がるので、クスコから移動してくると「空気が濃い!」と感じる。
遺跡の中は急峻な階段で移動にはまあまあ苦労する。これがクスコの標高だったらたちまち目眩に襲われただろう。しかしクスコで高さに慣れた私達にはなんてことない。多いに歩き回り、土砂降りに見舞われるまで周囲の山を眺めて楽しんだ。

ナスカでも耐性が求められる。地上絵がある場所自体の標高は大したことないが、地上絵を見るにはセスナに乗る必要がある。そして、地上絵をしっかる見られるよう、セスナのパイロットはアクロバット飛行並みに機体を左右に振る。
高さへの耐性というか、揺れへの耐性を求められるのだ。
私は胃の中が空であればかなり揺れても大して気にならないので地上絵を存分に堪能することができた。けれど揺れに弱い人は見物どころではなく、紙袋を抱えて吐き気との戦いとなってしまった。

ペルーから出る直前、リマに寄って6人で海岸沿いを歩いた。ようやく地に足が着いた、という感覚がする。
インカ帝国の首都は、クスコからマチュ・ピチュへ移動したらしい。彼らもあの標高の高さには辟易としたのではないだろうか。