空の旅の話をしよう。長時間のフライトの過ごし方の話。

あれはペルーからの帰りの便だった。
ペルーから一気に日本に帰ることができず、メキシコだの米国だの2カ所ほど乗り継いで成田まで戻る道のり。ペルーから実に24時間かけて帰るという旅程だった。
南米は本当に遠い。ペルー旅行は4泊8日という、なかなかエグいスケジュールだった。旅行の半分は飛行機で寝るわけだ。体力のある若いうちに行っておいてよかった。
そのときは9.11からさほど時が経っていない頃で、米国に入るのはたかが乗り継ぎでも厳重にチェックされた。スーツケースは蓋を開けるだけでは済まず、ポーチの中身なんかも全部調べられた。それが例え生理用品でも。おかげで乗り継ぎに余裕があると思っていたのに、手続きが終わると即搭乗となった。

米国で乗り継いだのは、どこの空港だったか。
ロスだったか、シアトルだったか、もう記憶にない。
とにかく成田まで12時間のフライトで、それまでの12時間は短いフライトと出入国審査に費やされて寝ていないので、とても疲れていた。
成田に着くまでの12時間、ひたすら眠ればいい。離陸して、安心して座席に身体を沈め、映画を観ながら眠気を待った。

ところが、いつまで経っても眠気が訪れない。
1本まるまる映画を観終わっても、まだ眠くない。仕方ないので機内誌をめくって面白そうな映画がないか探し、また観始める。

昔の飛行機はパーソナルモニターなんてものがなく、長距離フライトでも天井のところどころから吊られた小さなモニターを見るしかなかった。
その場合映画はどう観るかというと、フライト中の上映スケジュールに合わせるしかない。10時から観たい映画が流れるから、それに合わせて起きてヘッドホンを着けて待つ、みたいな状態だ。
その時代を過ごしてきた人間にしてみると、そのペルーからの帰りの長距離フライトでパーソナルモニターがあったのは大変ありがたく、時間潰しにやたらと本を持ち込まなくて済んで良い時代になったなあとしみじみした。

しみじみしたはいいが、眠気は来ない。2本目の映画を観ても、まだ眠れない。
同行した友人達はぐっすり眠っている。機内の照明は暗く、トイレに向かう人やCAは眠りを妨げないように静かに歩いている。それでも眠れない。
3本目、4本目の映画を観てもまったく眠れなくて、結局12時間、ペルーを発ってから24時間起き続けたわけだ。
その日は成田空港近くのホテルで一泊して、翌日名古屋行きの便に乗る予定にしていた。フラフラしながらホテルのシャトルバスに乗るだけで済んだので、よかった。これで新幹線でその日のうちに移動していたら途中で倒れていたに違いない。
ホテルに着いたら久しぶりの風呂で念入りに身体を洗い、ルームサービスで鮨を取って食べて、そこから12時間泥のように眠った。

旅行で眠れないというのは、旅の最中にも帰国後にもダメージが大きい。
このとき以来、私は8時間以上のフライトのときは睡眠薬を飲んで強制的に眠るようにしている。

ペルー旅行で「飛行機で眠れない」と発覚したのと時を同じくして、飛行機の中では食べられない、食べると気持ち悪くなるということに気づいた。
フライト中の楽しみのひとつは機内食だ。
美味しい機内食もウェルカムだが、地域性豊かな機内食もいい。インドは機内食もカレーなのね、なんて楽しみ方ができる。
しかし、ちょっと前まで機内食は完食、なんなら夜中にCAが配りに来たスナックも平らげて、キャビンへ行ってカップラーメンまでもらったりしていたのに、ふと気づくとフライト中は食事ができなくなっていた。
気圧が変わって胃が持ち上がるのが気持ち悪く、食欲が出ない。空腹感がまったくないのだ。そして食べると吐き気がする。
それでも舌が卑しいので味見はしたく、ちょこちょことつまんでみるが、数口が限界。カットフルーツやゼリーなんかはつるりと食べられるので、それで終わりという状態だ。まるで病人のよう。

ドイツへのフライトで、いつも通り睡眠薬を飲んでこんこんと眠ったとき。
着陸までもう少しというところで目を覚ましてごそごそしていると、CAがやってきた。私が食事も摂らずに寝ているので心配したらしい。
「食事する? メイン料理は全部出払っていて、ファーストクラスのビーフシチューしか残っていないけど」
そう言われて食いしん坊の魂が震えないはずがない。私はぜひ食べたいと願い出て、周囲の「なんであの人は今頃食事を…」という視線を横目に、熱々のトレイの蓋を開けた。
そのときのビーフシチューの美味しさときたら!
地上でもこんなに美味しいビーフシチューは食べたことない、というくらい旨かった。
あまりにも美味しくて、普段は一口二口でやめるところを八割がたは食べた。
それが私の胃に負担でないはずがなく、着陸態勢に入った頃には吐き気に悩まされ、揺れる機内ではずっと紙袋を抱えている羽目になった(一応吐かずには済んだ)。

厄介なのが、食べずにいると地上に降り立った途端空腹感に襲われることだ。
欧米へのフライトでは半日ほどほとんど食べず、おまけにずっと揺られているから消耗して、まあまあお腹が減る。
さっき機内食にはほとんど口をつけなかったのに、飛行機から降りるや否や「お腹空いたー」と空港の飲食店で何かを食べ始める私を見て、慣れない同行者は怪訝な顔をする。
私もこんなことはしたくない。格安航空ならともかく、普通のフライトでは機内食込みの料金を払っている。それなのにそっちはほとんど食べず、地上でわざわざ食べ直すなんて、難儀な体質だ。
それでもビーフシチューの後の吐き気を思い出すと、機内で無理に食べる気にはなれない。

ところで、フライト中に睡眠薬を飲むようになってよかったことのひとつは、飛行機が大きく揺れても目が覚めないことだ。
モロッコでの移動中、エアポケットにでも入ったのかジェットコースターのように揺れたらしいのだが、私はなんとなく「ああ、揺れてるかも」と感じた程度だった。
友人は顔を蒼くして「あんな揺れでよく眠れるね!」と感心(?)していた。