春のギザの話をしよう。砂嵐の真っ只中の話。

エジプトのカイロは、今まで訪れた数多くの街の中で最も不可思議な気分に囚われた場所だった。
市内の考古学博物館やモスクなどを観光で巡っている最中、ナイル川沿いの動物園の近くを走るバスの車中でガイドが「あれがギザのピラミッドです」と指を伸ばす。
指先を見ると、近代的な建物の隙間から、あの写真なんかでは見慣れた三角(正確には四角錐)の建造物がひょっこりと頭を出していて、ギョッとした。
よくありがちな「広大な砂漠の中に聳え立つ三大ピラミッド」的な写真は「映え」重視の構図であって、実際はピラミッドというか参道ぎりぎりまで街が広がっている。上空からの写真を見ればその様子は一目瞭然なのだが当時私はそれを見たことがなくて、そしてカイロからギザの地図を眺めてはいたもののピンと来ておらず、砂漠の中のピラミッドというイメージに素朴に囚われていた。
だから20世紀の建物の合間から見えるピラミッドを目撃したときは、長年憧れていたピラミッドをようやく見たという喜びより、狐につままれたような気分が勝っていた。

エジプトの春は、砂嵐のシーズンだ。
ルクソールなど南部の方へ下ってしまえばさほどでもないけれど、カイロ周辺は本当に酷い。
強い風が吹き荒れていて、それが広大なサハラ砂漠の砂を満遍なく含んでいる。長年の侵食を経た砂は小さくて軽く、容易に巻き上がる。
おかげで、私の記憶の中でのカイロの空は黄色だ。ルクソールでは青空も見たのだが。
映画「ミッションインポッシブル」では、ドバイだのイエメンだのが舞台のときに砂嵐に見舞われる。あれの最も酷い状態、砂でホワイトアウト(イエローアウト?)するようなときよりはマシだけど、という空が私のカイロのイメージ。
カイロの街中の考古学博物館の屋上でも砂を被ったのに、ましてや砂漠に晒されているギザやサッカラなんて、もう。ピラミッドを見に行ったのに、天辺辺りは砂で煙って見えないという有様だ。

そんな砂嵐のシーズンとは知らなかったので、私は無防備な格好でピラミッド観光に臨んだ。
普通の街歩きの格好だ。サングラスは砂除けというより、単純に日差しを遮るつもりでかけていた。
おかげで全身砂まみれ。砂場を歩くから靴の紐に砂が溜まるのは仕方ないとして、服や鞄の生地の繊維の中にも砂が忍び込む。シャツの襟口からも砂は侵入するし、マスクなんか持っていかなかったから少し喋ろうものなら口の中が砂だらけになって、ぺっぺっぺっとなる。
まさかこの砂をたっぷり含んだ服をスーツケースに入れるわけにもいくまいと、ホテルの部屋で念入りに服や鞄を叩いたので、部屋の絨毯も砂だらけ。
ようやくバスルームでシャワーを浴びると、耳の中もジャリジャリしていてげんなりした。

砂は、電気製品にとっては最悪だ。
当時はスマホどころかガラケーもない時代だが、フィルムカメラはあった。
私はその頃オリンパスのカメラを愛用していた。シャンパンゴールドっぽい明るいボディで、軽くて操作も簡単。
せっかくギザまで来たのだからとピラミッドもスフィンクスもしっかり撮影したのだが、細かい砂はボディのちょっとした溝に嵌まり込むし、電源に連動して動くレンズやその蓋の隙間にも入り込んで、ピラミッド観光の後は挙動がおかしくなった。電源を入れてもスムースにレンズが出てこないのだ。結局、帰国後にカメラ屋で掃除してもらうまで、ん、ん、ん、みたいな変な動きをした。

このときの経験から、春のエジプトには二度と行かない、と決めている。

しかし、砂にこりごりしたくせに、その後もモロッコやヨルダンで砂漠キャンプに参加した。
エジプトでの経験を活かして、ストールやゴーグルで完全装備の出立ちだ。後から写真を見返しても、写っているのが私かどうかわからない。
そこまでやっても砂は手強くて、キャンプ後のシャワーでは毎回耳の中がジャリジャリする。