チュニスで出会った猫と犬の話をしよう。人懐こい小さな生き物の話。

チュニジアに限らず、イスラム圏では猫が愛されている。
モロッコでもトルコでもエジプトでも街中では多くの猫が闊歩し、人通りが多い場所でも平気で昼寝して、商店街の隅では母猫が多くの仔猫を育て、その傍には誰かが施したらしきミルクが入った皿が置いてある。
ムスリムの猫好きは始祖ムハンマドが猫を愛でたから。なんて言われるが、それより遥か古の古代エジプトで猫は神と崇められていたし、古代ローマ人も欧州内のあちこちに猫を連れ込んでいるし、今も地中海沿岸の街ではよく猫を見かけるので、あの辺りの地域の人はとにかく猫が大好きなんだろうな、と思っている。

私も猫が好きだ。
しかし、猫の方は私を好きではないらしく、日本で野良猫を見かけても近寄ってもらえない。なんなら、自分の飼い猫も膝に乗ってきてくれない。
どうやら子どもの頃飼っていた犬に接していた癖が残っているようで、犬に対するようなハイテンションで猫にも接してしまうから嫌われるらしい。
そんな私にも地中海の猫は優しく、昼寝を見守っても頓着しないし、一緒に歩いてもお構いなしだし、なんなら遊んでもくれる。地中海沿岸を旅行する楽しみのひとつは、その辺の猫を愛でられることだ。と言っても過言ではない。

さて、チュニジアでも多くの猫と出会った。
石畳の上をのしのしと歩いたり、夜の街で追いかけっこしたり、どの猫も人間なんぞに目もくれず、堂々としている。

中でも印象深いのは、チュニスのホテルにいた黒猫だ。
プールサイドで朝食を摂っていると「お、やってますな」という顔をしてやってくる。テーブルの皿の中から猫が食べても問題なさそうな食材を選んで与えると、当然のような顔をして平らげる。
そしてデッキチェアのひとつを陣取り、その上ですうすうと昼寝を始めるのだ。
人間が日頃せっせと働いて貯めた小銭を握りしめ、短い休暇をやりくりしてようやくここへ来たというのに、この黒猫はずっとプールサイドでいいものを食べて、デッキチェアで寝ているのだろう。恐らく、生涯。
烏の濡れ羽色のごとく艶々とした黒い毛と、可愛がられている証の青い首輪(さすがに街中を歩いている猫に首輪はない)、無防備に顎を晒して微笑んだような寝顔を見ると、私も来世は甘やかされる猫になりたいと切に願った。

その黒猫は、ホテルの部屋にも現れた。
帰国前夜、私達がスーツケースに荷物をばたばたと詰め込んでいるとドアの前でニャーと鳴いた。
同行の友人は昔から猫を飼っているので扱いには慣れている。「入る?」と訊いてドアを開けてやると、黒猫は当然のような顔をして部屋の中に入ってきた。
開いてあるスーツケース、特に友人の方は自宅の猫の匂いでもするのか熱心に嗅ぎ周る。ひと通り探索が済むと気が済んだのかベッドの上にひょいと乗って毛繕いを始め、ごろんと横になった。
猫を飼ったことがない私は面食らった。実家の犬も室内飼いしていたわけではなく、基本的には庭で過ごさせ夜だけ玄関に入れるという飼い方だったので(昭和の犬なんてそんなものだ)、動物と同じベッドに上がるという経験がない。
が、猫に慣れている友人は「あらあら、一緒に寝るの」と言って、風呂から上がるとその黒猫を撫でながら眠ってしまった。黒猫は、数時間経って飽きて部屋を出たがるまで、ずっと同じベッドで過ごしていた。

翌朝、黒猫はまたプールサイドに現れて、ひんやりしたタイルの上で舌を出して寝ていた。
昨夜私達と一緒に過ごしたことなんて噯にも出さず、クールな態度だった。

こんな風に猫は日常に入り込んでいるけれど、犬はほとんど見かけない。
地中海のイスラム圏で犬と触れ合ったのは、チュニスだけだったと思う。

その夜、私達は石畳の上でプロレスをしている仔猫を眺めていた。どこかの家の門の前で座って「可愛い可愛い」と目を細めっぱなしだ。
するとその門が開いて、初老の女性が顔を出す。うるさくて迷惑だったかと慌てて立ち上がると、女性が手招きして門の中に入れてくれた。アラビア語だから何を言っているかさっぱりだが、悪意はなさそうだ。

中に入ると、港が見えて風が気持ちいいテラス。そこには大きな犬が2頭いた。犬種はわからないが猟犬のようなキリッとした体型で、耳は垂れて、体毛は黒とグレーの斑模様。
猫の扱いは友人の後塵を拝するが、犬は任せてくれ。散歩中の犬と目が合っただけでごろんと転がって腹を見せてもらえる犬誑しの技をとくと見よ。
私の犬誑しは日本限定ということもなく、チュニスのその2頭もすぐに腹を撫でさせてくれ、豪快に尻尾を振ってくれた。
猫も可愛いけれど、犬もいい! しばらく犬に飢えていたと気づき、私は存分に犬達を撫で回した。

犬の飼い主夫婦と話すと(アラビア語ではなく片言の英語で)、犬は好かれていないということを教えてもらった。だから散歩にもほとんど連れ出せず、犬達は広いテラスで過ごしているらしい。
猫が闊歩できる街は、それはそれでいいものだが、犬が気軽に散歩できない街は果たして健全なのかどうか。私の疑問に、奥さんは肩をすくめた。
この国ではそういう話はできない。自由な議論はできない。自分はジャーナリストだが、この仕事をいつまで続けられるかわからない。
そんな話をしてくれた。

その旅から程なくして、アラブの春が起こった。
あの老夫婦と犬達は無事に過ごせたのだろうか。