ビッグ・アップルの話をしよう。まだツインタワーが存在した頃のニューヨークの話。
20世紀の終わり、早めに冬休みに入ってニューヨークへ行った。
北米本土へ上陸するのは初めてだ。それまでも乗り継ぎで空港に降り立ったことはあるけれど、街に繰り出したことはない。
その頃はまだ米国の出入国もそこまで厳しいことはなく(何しろツインタワーが無事な時代だから)、ほかの国とあまり変わらない印象だった。まだESTAなんてものもなかった。
80年代を多感な年頃で過ごした私にとっては、ニューヨークはちょっと特別な街だ。
マイケル・ジャクソンやマドンナのミュージックビデオ、それに「ゴーストバスターズ」などの映画など、ブラウン管の向こうに登場する手の届かない憧れの街。
ブルックリンブリッジに歓声を上げ、自由の女神像の前で同じポーズを取って写真を撮り、ロックフェラー・センターの大きなクリスマスツリーとスケートリンクを見て「すごい、本当にニューヨークに来ている…!」と感激した。メトロポリタン美術館では、なぜか日本よりも「東海道五十三次」が充実していて、印象派のヨーロッパの画家の絵を半日かけて鑑賞し、ミュージアムショップではメソポタミアのカバの置物を模した消しゴムを買った。
そしてブロードウェイ。
タクシーの屋根の上には「ライオンキング」の広告が乗っていて、オモチャ屋には「オペラ座の怪人」のファントムとクリスティーナのリカちゃん人形的なものが売られている。まさにミュージカルの街だ。
その頃はまだインターネットでチケットを気軽に買えるような時代ではなく、ブロードウェイの販売所でその夜の公演リストを見ながら紙のチケットを買った覚えがある。「美女と野獣」や「フォッシー」など、夜毎に観劇できるとは、たまらなく贅沢な経験だった。
ブロードウェイといっても大きな小屋ばかりではなくて、観客と舞台との距離が滅法狭い場所で鍛え上げたダンサーの踊りが見られるのだから、迫力満点。長い手足をぶんぶんと振り回し、翼でも生えているのかってくらい長いジャンプを見せつけられて、ああ日本人にダンスは向いていないなあとつくづく思い知らされた。
ニューヨークは物価が高い街だ。
とはいえ、当時はまだ円が強くてドルは100円ちょっとの時代。日本人の収入は世界の中では相対的にまだ高い方で、働き出してすぐの頃の私でも高いと思いつつも旅に支障が出るほどでもなかった。
お金さえ払えば、大都会は楽しい。ニューヨークでは食事に困ることがない。
顔くらいのサイズのハンバーガーもあれば、地中海料理だって食べられるし、なんなら長崎ちゃんぽんも美味しく頂けた。
そうそう、そしてクリスマスシーズンはバーゲンもやっている。フェンディのマンマバゲットを8万円くらいで購入できたのはいい思い出。今じゃちょっと凝ったデザインだと50万円を超えてしまうのに。あの頃もっと買い込んでおけばよかったと、30年近く経っても後悔している。
さて、ニューヨークに着いてから、テレビをつけて天気予報を見ると、物騒な言葉が聞こえていた。
「ウィンターストーム」だの「ヘビースノー」だの、なんじゃそれと思いながら、見慣れなくて雲の流れがよくわからない北米東海岸の天気図を見ていた。
なるほど、確かにニューヨークは寒かった。
街頭の、摂氏と華氏が切り替わる電光掲示板で見ると、昼間でもマイナス14℃だった。
マイナス14℃は、温暖な東海地方育ちの私には初体験の寒さだった。寒いというより、痛い。
もしかするとスキー場ではそれくらいの気温を経験していたのかもしれない。が、ウィンタースポーツに耐えうるような防寒着ではなく、完全に街の装備だったから、痛さはひとしおだった。
私はその頃はまだ寒さには耐性があって、雪でも降らなきゃマフラーも手袋も不要(そして滅多に雪なぞ降らない地方ばかりに住んでいた)、冷え性もなければ霜焼けや赤切れとも無縁だったので、防寒には無頓着だった。
そんなわけでいつもの格好にマフラー・手袋・帽子をプラスして臨んだニューヨークだったが、マイナス14℃はこんなのでは全然防げなかった。
裏地のない手袋と帽子からは「装着してないのかな?」ってくらい冷気が入り込むし、裏地があるウールのコートを着ていても背中がぞくぞくする。なるほど、テレビで毛皮のコートのコマーシャルがばんばん流れるわけだよ、と納得した。あまりにも寒くて、街をぶらぶら歩くというよりは「3軒向こうに本屋があるから、そこを目指そう」と暖房が効いているスペースを慌てて渡り歩くという格好になった。もっとじっくり「ティファニーで朝食を」ごっこをしたかったのに。
それでも空は青く晴れ渡っていたので、ヘビースノーとは何のことやら、と不思議な気持ちで空を見上げていた。
ウィンターストームがやってきたのは、帰国日だった。
ホテルの部屋のカーテンを開けると、外が真っ白。一面の銀世界。ひと晩でどっさりと雪が積もってしまった。
最悪なことに、私はその前夜から熱を出していた。
その前の日、背中がぞくぞくして嫌な感じと思っていたのが、耐えられなかったようだ。
早めに休暇を取るためにしばらく休みなく働いていて疲れたところに、この寒さだ。風邪を引かない方が不思議ってものだろう。
まあ、あとは帰るだけだし…と、息を荒くしてチェックアウトし、迎えの車に乗った。
真っ白になったマンハッタンは、不思議な姿だった。熱にうなされてぼんやりしている頭で見ると、現実感がまるでない。こんな中途半端な別れ方をするのは切ない、なんてことを思った覚えがある。
ところが、空港へ行ってみるとこの雪で飛行機が全便欠航になっている。
このときはエアとホテル、空港の送迎がセットになったツアーで行っていて、航空会社との交渉はガイドがやってくれたから助かった。そうでなければこの熱で、慣れない英語でやり取りしなきゃいけない。
空港の椅子でしばらく待っているとガイドが戻ってきて、今から元のホテルに戻ると言われた。スーツケースは既にチェックインしてしまったので預けたまま。一応翌日のフライトに振り替えとのことだが、このヘビースノーが収まらないと空港は再開できないだろうから不透明。
そんなわけで、ちょっと感傷的に別れを告げたはずのマンハッタンに蜻蛉返りすることになった。
ホテルも元の部屋だ。この雪では次の客も来られないのだろう。
持ち物は手荷物の小さなバッグだけ。貴重品が入っているだけで、着替えは一枚もない。
このときの経験から、ちょっと長いフライトのときは空港で足止めを食らっても構わない程度の荷物を持ち歩くようになった。
幸か不幸かシャワーを浴びるほどの元気もないので、歯磨き洗顔だけしてバスローブで布団に潜り込む。ベッドで眠れるだけマシだ。これで空港でひと晩過ごすとなったら目も当てられない。
同行者は、せっかく延びたニューヨーク滞在を満喫したようだ。この雪の中、元気に出掛けていった。
店という店は閉まっていて何かできたというわけではないけれど、後で雪まみれになったセントラルパークや人気のないタイムズスクエアの写真を見せてくれた。
翌日、晴れていたが雪はまだ積もっている。飛行機が飛ぶかどうかわからないけれど、とりあえず空港へ向かうことになった。
一日中寝ていたら熱は多少マシになったけれど、まだ高い状態が続いている。できれば今日は帰国したい、と願っていたら、一応搭乗口に誘導されたので飛行機は飛ぶらしい。
だいぶ時間がかかった後に飛行機に乗り込むことができた。予定ではジョン・F・ケネディ空港から成田を経由して名古屋に帰る経路だったが、雪でダイヤがめちゃくちゃになったようで、なぜか名古屋への直行便に変更になった。体調が悪いときにありがたい。
CAに熱があるので薬が欲しいと頼むと、アスピリンをくれた。
それを飲んでフライトを待つが、一向に飛び立つ気配がない。
窓の外を見ると、滑走路までの通路にぎっしり飛行機が並んでいる。昨日の雪のせいで飛行機が大渋滞を起こしているのだ。あそこまで飛行機が並んだ様子を見たのは後にも先にもない。
米国のアスピリンは日本のものと成分が違うのか、ひどくよく眠れた。
おかげで飛行機の大渋滞を見た後の記憶はほとんどない。